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高野山への車内にて
2005.11.30(20:50)
大阪ミナミの南海電車なんば駅から世界遺産に登録された高野山の梺まで、「こうや号」という特急電車が出ているのをご存知でしょうか?とある初秋の日、私は高野山へ行くため、この電車に乗りました。
その日は平日ということもあり、車内は20名も乗っていなかったと思います。
朝が早かったため、自分の指定された席に着くやいなや、窓の外を見ながらウトウトしかけました。
その時です、「ピロピロ~プルップルッ・・ピコピコ・・・」という電子機器の音が聞こえたのです。
携帯の音にしては変化がありすぎるので、最初は子供の玩具の音かと思って、特に気にもとめないでいました。
しばらくして、また同じ音がします。トイレに行くついでに、どの子がどんな玩具で遊んでいるのかな?ときょろきょろ見ながら歩きました。しかし、今日は平日、しかも霊場である高野山行きの列車には子供は乗っていません。そのうち、この電子音が自分の前の席から聞こえてくるのが分かったのです。しかし、私の前の席は、70くらい女性で、とてもそんな電子音と縁があるとは思えません。しばらく気をつけて聞いてみることにしました。
すると、その女性はごそごそと鞄の中を触るたびに、件の電子音がすることが窓に反射する様子から分かったのです。「何の音だろう・・」おおよそ、電子音と縁がなさそうなその女性を窓越しに注意深く観察してみると、鞄の中からなにやら取り出して、しきりに撫でたり、話しかけたりしているではありませんか。「あっ・・・」次の瞬間、再び電子音を聞き、それが何かが分かりました、と、同時に何とも言えない悲しい気持ちになりました。女性が持っていたものは犬型のコンピューターロボット
どうやら、このロボット、光とか音に反応するらしく、この女性はこのロボットに話しかけたり、タオルを掛けて撫でてあげたり、持ち上げて外の景色を見せたりしていたのです。
その動作の度に、電子音とランプで反応し、かわいらしく作動する犬型ロボット・・・。女性の話しかける声が凄く淋しそうに聞こえ、愛らしくも無機質に反応するロボットとのやりとりが、周りに何とも言えない寂しさを伝えています。ロボットに話しかけ、心を癒されるなんて・・・いくら、コンピューター時代だからって・・。私は悲しさとも、切なさとも、そして怒りともとれぬなんとも重い気持ちになり、車窓から目を背けました。涙が止めどなく流れてきました。
彼女は何故この列車に乗っているのか、家族は何をしているのか、なぜ、こんなロボットを持っているのか、誰がこのロボットを買ったのか、彼女はこのロボットと一緒にいてどんな気持ちなのだろうか・・・。私の頭の中をいろいろな考えが浮かび、そのたびにやるせない気持ちが溢れてきました。結局、峻険な登山路を行くこの列車の車窓風景はほとんど見ずじまいでした。
高野山へは終点、極楽橋駅で降り、ケーブルカーに乗り換えた後さらにバスに乗り換えます。
私は、ほとんどの乗客と一緒に奥の院へ向かうバスに乗りました。先ほどの女性も乗っています。先ほどの一件が頭にあり、この女性が気になって仕方がありません。もし、同じ方向に行くのだったら、少し話しかけてみようか・・・そう考えながら、終点奥の院で下車しました。私はあまり人のプライバシーに首を突っ込むことは好まないので、(自分が突っ込まれるのが嫌なので)世間話くらいですませようと思っていたのですが、いざ、話しかけようとすると、かなり勇気が要ります。すると私の意に反して、その女性は観光客の列に紛れ、どこか違う方へ行ってしまいました。
彼女がいなくなったことで、私は少しホッとしました。そもそも、人の気持ち、人の暮らしがどうかなんて知るためにここへ来たわけではないのですから。私は、しばし彼女のことを忘れ、途中、団体客のガイドを盗み聞きしながら奥の院へたどり着きました。山の上といえど、歩くと汗がにじみ出てきます。ただ、夏も終り、日陰へはいるとすーっと冷気が身体を包みます。さて、参拝をすませ、帰りに著名人の墓石が並んでいるのを見ながら金剛峰寺の本堂の方へと引き返して行きました。すると、人通りが少なくなった参道で、先ほどの女性がとあるお墓の前でしゃがみお花を手に線香に火をつけようとしていました。
ここにきて私はこの女性が観光に来てのではなく、一人でお墓参りに来たのだと初めて分かりました。そうだとすると、なおさら声をかけるわけにはいきません。私は話しかけることもせずその場を通り過ぎました。しばらくして振り返ると、女性はまだ、しゃがんだままでその表情は良く分かりませんでした。線香は湿っていたのか、まだ火がついてないようでした。
(2003年9月 和歌山県高野山)
西訪旅游~プーケット・ピピ島情報~ もよろしくお願いします。
メコンに流されて
2005.11.22(03:04)
メコン川。中国チベットを起源に、ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムと流れ、南シナ海にいたる東南アジア最大の河川であり、交易、漁業など地域の人々にとって重要な役割を持った川です。河口付近は幾重にも河が別れて中州ができておりメコンデルタと呼ばれています。そのメコンデルタを楽しむツアーが毎日ベトナムのホーチミン(旧名サイゴン、以下サイゴンと呼びます。)から出発しており、これが7ドル程度という安値で楽しむことができます。今回のお話は1999年末、友人達とベトナムに行った際にこのツアーに参加したときのお話です。
朝8時過ぎ、私たちを乗せたバスは、サイゴンを出発し、一路河口の町ミトーへ。ガイドは日本人の方で、参加者も日本人が多く、あとフランス人(フランスは元ベトナムの宗主国)が比較的多く乗っていました。
(地図はこちらを参照)
バスはベトナム名物のバイクを力ずくで退かしながら、水田地帯をひたすら西南に向かい走ります。
ところで、私たち日本人からすると、この水田というものは珍しいものではありませんが、小麦畑しか知らないフレンチにとって、それは観光の対象らしくわざわざバスを止めさせ、水田をバックに記念写真を撮っているのです。関係のない私たち日本人にとっては迷惑な話です。(笑)
さて、2時間半ほどで、ミトーに到着です。ここでついにメコンを見ることが出来ました。それは川と言うにはあまりにも大きすぎ、その水の色は褐色、河と教えられなければ湖か海と間違うほどです。
ここで観光船に乗り、河の中にある島へ向かいます。岸辺には水色や朱色をベースにしたカラフルな漁船が沢山停泊し、魚を水揚げしており、他国の国旗を掲げた貨物船が行き交うなど、この地域には欠かせない河川であることあらためて感じます。漁業も盛ん、農業も盛ん、この豊かな資源を見ていると、私が生まれた後も戦争をやっていた国だとは想像もつきません。戦争さえなかったらもっと豊かな国になっていたであったろうに・・・と思わせます。
さて、私たちを乗せた船は無事中州の島へ着き、ここで小型のモーターボートに乗り換えます。ただ、モーターボートと言っても、鵜飼い船にエンジンをつけただけのような船で、どうやらこの船でもう少し奥まで入っていくようで、分散して乗船します。
大型船から小型のボートに乗り換えたおかげで、メコンの水は触れるところまで近くなりました。が、しばらくすると・・お約束の異常発生です。
なんと、私たちを乗せたボートのエンジンが止まってしまったのです。最初は、何とか再起動ができたようですが、そのうちエンジンはウンともスンともいわなくなりました。
船頭さんは、困った顔をして、船尾にあるエンジン室に首を突っ込んで色々いじっているようですが、いっこうに直る気配はありません。ここは海と違い大河で、エンジンが止まると船はどんどん下流に流されていきます。しかも結構流れは速く、このままだと海まで行ってしまうのではないか・・と普通なら不安に駆られるのですが、なぜか、乗客はいっこうに焦る気配無し。当時、ベトナムはまだブームの走り。こういったトラブルをとことん嫌う金持ちのツアー客はもっと高いツアーに参加し、私たちのような若くてコストパフォーマンスを重視する人や、旅慣れた人しか乗っていなかったからでしょう。
メコン川という大河川ゆえ、行き交うボートや漁船もも多く、いつかは何とかなるだろうと、乗客は文句も言わず、そして全く焦った様子を見せません。それどころか、他の船に手を振って愛想を振りまいたり、必死になって修理している船頭さんの姿をバックにヘラヘラ笑いながら記念写真を撮り始める始末です。おいおい・・、このままだとやばいんだけどな・・・。
結局10数分流された後、他のボートが助けにきて、メコン川のど真ん中で橋渡しをして舟を乗り換えました。スリル満点です。でもベトナムではこの程度はハプニングの範疇にも入らないのでしょう。(実際この旅ではもっと驚くべきハプニングがありました)こういう体験があるから旅をやめられないなんですよねぇ。
さて、このメコンデルタツアーですが、ココナツ工場や養蜂工場見学、プラトーン
また、団体旅行にありがちの現地工場での販売もそれほど高くなく、南国の果物の無料食べ放題や、少女の歌を聴いたり、ニシキヘビを身体に巻かせてもらうサービス(これも無料でした)など盛りだくさんでお値打ちにできております。ちなみに、私はこのニシキヘビとキスをするという貴重な体験をさせて頂き、充実した一日となりました。
サイゴンの安宿街、ファングーラオ通りは世界中から旅人が集まり、そこには「シンカフェ」「キムカフェ」などの安いツアーを運行している代理店があります。私が使ったのは「シンカフェ」のほう、値段や内容はそれほど変わらないようで、どちらを選ぶかは好みの問題かと・・。双方とも上記のメコンデルタツアーや、クチのトンネルツアー、これは私は閉所恐怖症なので参加できませんが、ハノイ、フエなどへのバスツアーなどを扱っています。
そして、このツアーで私たちをガイドしてくれた日本人ガイドがひろみさん、数年後、中日新聞で紹介されたくらい、当時サイゴンを旅する若者の間では有名な人で、ツアー中はベトナムの歴史、地理から口コミの情報まで親切に教えていただきました。
ちなみに、ツアーで訪れたココナツ工場で、ココナツキャンデーを購入し(200円)職場へのお土産とし、同じく購入したバナナワインでホテルに帰った後、乾杯しました。このバナナワイン、ワインとは名ばかりで、アルコール強度はかなり強く、酒の弱い私は疲れていたこともありすぐに眠ってしまいました。
(1999年12月 ベトナム)
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上海航路 鑑真号
2005.11.16(00:18)
私が初めて海外に出たのは、1992年の春、友人達と一緒に行った中国への船旅です。当時、私はまだ学生で、あまりお金もなく、飛行機代も今ほど安くはありませんでした。そして何より時間があったので、船で上海へ行き、そこからあちこち廻ろうという計画にしたのです。
大阪~上海の所要時間は47時間、まるまる2日を要すことになります。船の名前は「鑑真号」。奈良時代に日本へ渡ってきて仏教の普及に努めた唐の高僧「鑑真和上」にちなんだありがたーい名前を冠した9000トンほどの船した。
乗客は日本人の旅行者と中国人が半々くらい、私たちの部屋は一番料金の安い雑魚寝の船室ですが、密航者が乗る船室の船底よりはましな環境です。
船は多少揺れがあったものの、出航当日は夜まで船内を歩き回ったり、カードゲームに興じたりして時間をつぶしました。
翌朝、起きると船は鹿児島沖を通過していました。ところが、東シナ海に出たとたん天候が悪くなり、船はだんだんと大揺れすることに。
最初はなるべく気にしないようにして元気にゲームやおしゃべりをしていた私たちもついにダウン。誰かが最後に「ウーノ!うぇっ・・(カードゲームのUNOです)」と言った声と共に、全員横になりました。いや、ひとりだけ三半規管のイカレたやつを除いて・・・。
その後、船は木の葉のように揺れ、船体がメリメリ鳴るほど傾き、このまま壊れるんじゃないかと思いました。そして、その揺れはひどいときは船体中央部で身体の半分くらいまで高低差があるものでした。もちろん、船室内はほぼ全員、魚河岸のマグロ状態で、あちこちから嘔吐する声が聞こえ、船員達がバケツをもって駆けずり回っています。
船に慣れた人であれば、こんな揺れは大したことがないと思われるでしょうが、船旅が初めての私達にとっては地獄の苦しみとしかいいようがありません。
なんとか揺れが少ないときに、這うようにトイレへ行ったところ、白人青年が便器を抱えて半泣きの状態で突っ伏していました。数時間後、再びトイレに行くと彼はほぼ同じ姿勢で動かなくなっていました。大丈夫かい?と声をかけたのですが、手を振って大丈夫と表現するのがやっとのようです。
かろうじて私は吐かずにすみましたが、同行した友人達は全員吐いていました。いや、一人だけ三半規管のイカレた奴が船首にある図書室まで行き本を読んでいました。まるで、兄弟船by鳥羽一郎のようです。ただ、あの状況でここまでやられるとイヤミにしか思えませんが。
出発翌々日の朝にはかなり揺れが収まっていました。その状況で、船内のカラオケ室(スナック)からたどたどしい日本語の「北国の春」が聞こえてきました。中国人民、強すぎるよ・・・。
船は揚子江河口に入り、海の色が茶色に変わるとともに、揺れはほとんど収まりました。
船はまもなく上海に繋がる黄浦江に入っていきました。このときは嬉しさというか安堵というかそんな気分が私たちの間で広がっていました。
しかし、揺れの後遺症は重く、上海に着いた後、杭州に移動したのですが、その後2日は身体の揺れが収まらず、帰りにもこの船に乗ると思うと気が重くなったのでした。
さて、この船旅で得たことは、1400年前にちっぽけな遣唐使船で幾度も遭難し、失明までして日本に渡来した「鑑真和上」の偉大さをあらためて感じたこと。そして、マグロを食うときは、遠洋マグロ漁船員の苦労を労って食べなければならないこと、そして「憧れのハワイ航路」はきっと凪の状況が続いたときに作った唄であると確信したことでした。
ところで、件の白人青年は、帰りの船でまた一緒になりました。彼はカナダ人で、広島の学校で英語を教え、休暇で内蒙古自治区に旅行に行ったそうです。何故か「毛語録」を持参していて、「社会主義は大嫌いだ」と言っていました。
現在は私が乗った「鑑真号」は退役し、その後新造された「新鑑真号」が大阪-上海航路に就いています。所要時間は今とあまり変わらないようです。そのほかにも青島や天津を結ぶ航路も開設され、日中の海の架け橋として、旅人を運んでいます。
(1992年3月 中国)
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11月11日 新ブログ 発信
2005.11.11(01:11)
1並びのこの日、西欧旅遊~プーケット・ピピ島情報~を飛び出し、新しいブログを立ち上げました。その名も、『飛光よ、飛光よ~のっち 旅の轍~』
あと5年早く読んでいたら人生が変わっていた沢木耕太郎さん著の「深夜特急」の最終章『飛光よ、飛光よ』からとり、あと、大好きなサザンの名曲『希望の轍』から副題を拝借しました。
ブログの紹介文にもあるように、日帰り、長旅問わず、過去訪れた国内外の場所や旅にまつわる思い出を断片的に思い出しながら綴ってきたいと思います。西訪旅遊ほど更新の予定はありませんが、ぼちぼち書いていきたいと思っていますので、西訪旅遊共々、よろしくお願いいたします。





